2004 年
8 月
16 日
カテゴリ:活動報告
59回目の8月15日
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敗戦から59年の歳月が流れ、日本の人口の4分の3が戦後生まれとなり、戦争について語れる人が少なくなっています。 私の両親は明治生まれで、いつも母からその戦争体験を、長兄から疎開生活を聞かされて育ちました。父は、満州にも行ったそうですが、父の口から戦争の話を聞くことはありませんでした。ただ、入隊して覚えた乗馬と馬がとても好きで、「馬も笑うんだぞ」といってその顔を真似てみせるか、満州の厳しい寒さを語るくらいでした。 反対に母は、何かに付けて戦時中のことを話してくれました。アメリカとの会戦を聞き、今度は負けると思ったこと、父に赤紙が届いた時には全身の血の気が引き、見送った父の姿の影が薄く見えたこと、アメリカ軍の飛行機から機銃掃射を受け次兄と必死になって逃げた話、空襲警報が出ると非難した防空壕のこと、食べ物がなく、買出しと言って近郊の農家に行っては着物と交換したこと、最後には家畜の飼料を食べた話、そして、東京大空襲により家を焼かれた状況など、同じ話を何度も聞かされました。長兄の集団疎開の話では、地元の子どもから「東京の子は、今に皆死んでしまう」などいわれ、いじめられた話を聞かされました。戦争というものが、どんなに残忍なものであり、人間を変える恐ろしいものか、子ども心に植えつけらました。 その戦争が、今も世界で絶えることがありません。私たちにとって遠い過去になった悲惨な生活が、遠い国で今も続いています。恒久平和の憲法を持つ日本でも、有事法制が成立し、イラクに自衛隊を送り、多国籍軍にも参加をいとわない国となり、憲法9条の改正がまことしやかに論じられています。長い間、直接戦争にかかわらなかったことが、平和の大切さを忘れさせてしまうことのないよう心したいものです。
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