62年目の夏 山口文江 都議会議員
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2007 年 8 月 8 日    
62年目の夏

毎年7月、東京都原爆犠牲者慰霊祭と追悼のつどいの案内をいただくと、また、あの暑い夏が来たと思いを巡らす。

東京に暮らす、被爆者健康手帳の所有者が約8200人。今もなお、原爆症認定を求め、東京地裁に提訴している原告と、東京高裁に控訴している原告を合わせると、東京原告団は76人。病気と闘いながらの認定訴訟を思うと、一日も早く、国が責任をもって救済に当たって欲しいと願うばかりだ。

5日、NHK総合テレビ「硫黄島・玉砕戦」の再放送を見た。約2万人の兵士が硫黄島に送られたが、そのほとんどが素人の若者と中年男子。中には銃の使い方を知らない人もいたという。

島全体を要塞とし、自らが掘った地下壕にこもり続けての戦闘。壕内の温度は40度にも達したという。食物も飲料水もない。泥水を飲み、爆撃で焼かれた後の墨を食べて飢えをしのいだという。敵の徹底攻撃に多くの仲間が倒れ、捕虜となることを禁じられ日本兵は、投降を促されても出ていくこともできない。傷つき苦しむ仲間に銃をもってその苦しみから解放してやるしかなかった、と涙ながらに語る生還者。極限状態におかれ理性を失った人間の姿が語られる。

戦後数十年、何も語ることができなかった生還者が、仲間の死を無駄にしたくないと、ようやく重い口を開いた。61年目の真実の証言。

私の両親は明治生まれ、父も戦場にいったが戦争のことは全く口にしなかった。母は、機銃掃射に襲われ、幼い子を連れて必死に逃げたこと、栄養不足で、ろくに医療も受けられずに亡くした5歳の次男のこと、飢えの苦しさなど、語っていた。ある日、わたしは「どうしてそんな戦争を止めることができなかったの」と尋ねた。母は「負けるとわかっていても、そんなことできるような時代ではなかった」と悲しそうに応えた。
時代は変わったが、憲法9条改憲の動きが加速されている。一部の権力者による暴走を止めるためにこそ、平和憲法維持の動きをつくっていかなければならない。



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